声の医学ガイド02 – 上咽頭の重要性

近年は「上咽頭炎」というワードがクローズアップされ、一部の医療機関では音声障害の原因の一つとしてとらえられ、EAT(上咽頭擦過療法、かつてはBスポットと言われていました)が行われています。当院での治療方針は、「当院の強み」の項で説明した通りですが、ここでは、声のパフォーマンスにおける上咽頭の重要性について解説します。
音声障害一般について、上咽頭の重要度の評価はまだ定まっているとは言えませんが、パフォーマンス音声に限るなら、臨床的な重要度は声帯に勝るとも劣らないと当院では考えています。とくに、声の響きやコンディショニングの問題を医学的に対処することは、上咽頭をターゲットにして初めてなしうると言えます。ただ、ここで述べることは、当院で数多くの患者さんの治療にあたった経験から明らかになりつつあることであり、その科学的な理屈付けがきちんとなされているわけではないことをお断りしておきます。

声のパフォーマンスにおける上咽頭の重要性は、主に3つの面から考えられます。

  • 共鳴腔としての重要性
  • コンディショニング面での重要性
  • 自律神経調整の問題

以下、順に説明しようと思います。

共鳴腔としての重要性(仮説です)

上咽頭腔が歌唱音声の共鳴腔としてどのように機能しているかは科学的に未解明なのですが、当院でアデノイド減量を行った歌唱者の多くが、音響エンジニアから3k-4kHz帯域の改善を指摘されています。また、アデノイド減量処置後、ほとんどの患者が「響き」の改善を自覚(声の通り、声の抜けが良くなる、マイク乗りが良くなる、鼻声が解消 等)していることから、上咽頭腔は歌唱音声の共鳴に重要な役割を果たしていると考えられます。
臨床的な観察からは、上咽頭腔下部の軟口蓋が干渉しうるエリアのアデノイドを減量・平坦化することで、軟口蓋の動きにより上咽頭下部に細い円柱状の空間を形成できるようになり、上咽頭上部の空間と組み合わさって逆フラスコ型の空間「ヘルムホルツ共鳴器」(特定の周波数の音を共鳴させる仕組みを持つ空間)を形成し、有名な「歌声フォルマント」に類似した効果を生み出しているものと推測されます。
「歌声フォルマント」とは、クラシックの男性歌手の声が、オーケストラの中でも突き抜けて聞こえてくる現象を解明する中で発見された音響原理です。喉頭を下げることによって喉頭管と下咽頭腔で2重の管を作り、ヘルムホルツ共鳴器の原理によって3kHzよりも低い帯域を減衰させることで相対的に3kHz付近を際立たせていると考えられています。
「歌声フォルマント」の場合は主共鳴管そのものにセットされているヘルムホルツ共鳴器なので減衰がその基本原理です(自動車のマフラーなどの消音効果と同じです)。一方、上咽頭腔は、主共鳴管から分岐した直後の副共鳴管にセットされたヘルムホルツ共鳴器となり、固有周波数の共鳴を付加しうると考えられます。また、「歌声フォルマント」の場合はより低域の帯域を減衰するために母音の要素に影響を与えますが、上咽頭共鳴の場合は母音に影響をあまり与えずに特異的な共鳴を付加することが可能だと思われます。私たちの考えでは、これがポピュラー音楽の歌声の響きの源泉です。


また、上咽頭下部の平坦化により可能となる鼻咽腔の半閉鎖状態は、音声を安定させるSOVT(準閉鎖声道:声道の一部を部分的に狭くすることで気流を安定化させ、声帯の振動を効率的にする発声法)の観点からも有利です。歌唱時に歌詞の表現により口腔内の調音状態が変化しても、この部分を安定的に保ち続けることの重要性は、当院副代表でAkasaka Voice Lab.代表の駒澤美和子(半田美和子)氏が職業歌手としての30年にわたる第一線での活動の中で見出し、訓練法を体系化しており、レガート唱法の最重要事項です。これは歌声の機能的障害を克服する訓練においても極めて重要な要素です。

上咽頭の共鳴腔としての形状に問題がある場合、当院では上咽頭の形状変化をもたらす治療を積極的に行っています。詳細は診療の際にお問い合わせください。

上咽頭の治療例はこちら
(身体の中のセンシティブな写真を含みます)

一方、上咽頭をターゲットにした医療行為のうち、慢性上咽頭炎と擦過療法に関しては、1960年代の発見から近年の再評価に至るまで豊富な経験的知見が蓄積されており、その作用機序として局所炎症制御、免疫学的作用、神経学的作用の3つが考えられています。このうち、音声表現者の発声に直接関わるのは局所炎症制御と神経学的作用です。

上咽頭の局所的な炎症制御は、音声表現者のコンディショニングにおいて最も重要な要素です。これには、感染による急性炎症への対処と慢性炎症の制御という2つの側面があります。

コンディショニング面での重要性

職業的音声表現者にとって、風邪の予防と速やかな回復は一般患者以上に重要です。風邪の最初の感染部位は上咽頭であり、感染初期の上咽頭処置により迅速な回復が期待できます。また、上咽頭の状態は炎症の発生しやすさに大きく影響します。慢性上咽頭炎を完全に制御すると、風邪の罹患頻度が著しく減少し、口蓋扁桃炎の再発も抑制される例が多く見られます。反復性扁桃炎で扁摘を検討している患者でも、慢性上咽頭炎がある場合は、上咽頭の擦過処置による消炎のみで症状が改善する可能性があります。
慢性炎症に伴うアデノイドの腫脹や炎症性付着物は、歌唱音声の質を低下させる要因となります。また、歌唱時にからむ痰の訴えが上咽頭由来である場合、炎症制御により痰の減少が期待できます。長年の痰がらみが、上咽頭の治療で少なくなることは珍しくありません。これらの症状は擦過処置による消炎のみで改善する場合もありますが、長期化している場合には、追加治療が必要になることもあります。

自律神経調整の問題

一方、上咽頭炎および上咽頭擦過処置の神経学的機序については、なお議論の余地があります。伝統的な上咽頭擦過療法では、慢性上咽頭炎があらゆる自律神経失調の原因となり、擦過療法がそれを改善できるとされてきました。しかし、上咽頭局所の炎症がある場合の神経学的病態(消炎により改善する)と、炎症のない場合の擦過療法による自律神経調整作用は、区別して考察する必要があります。
慢性的な上咽頭炎がある場合、舌咽神経および咽頭神経叢を介したレイリー現象(炎症による神経活動の低下)により、自律神経活動に影響が生じる可能性があります。音声生成に関わる内喉頭筋の活動は、完全な随意運動ではなく延髄を中心とする反射調節であるため自律神経的な性質を持ち、上咽頭炎により喉頭調節障害を引き起こす可能性があります。さらに、上咽頭は脳脊髄液の排出経路でもあるため、炎症により脳脊髄液の循環が阻害され、中枢神経への影響も考えられます。これらの症状は擦過療法による消炎で改善する可能性があります。
一方、上咽頭に炎症が全くない場合の擦過による自律神経調整作用の機序を考えるには、より広い視野で捉える必要があります。末梢神経に痛みを伴う刺激を与え、反射作用によって自律神経などを改善させる治療法は、鍼治療をはじめとして数多く存在します。当院でも矢追インパクト療法、チクチク療法、マイクロカレント療法などを実施していますが、上咽頭擦過もこれらと同様の治療法として位置づけられます。上咽頭は人体最大の刺激受容ポイント(いわばツボ)として、強力な自律神経活動改善効果が期待できます。ただし、炎症を抑えた後も音声障害に対して強い効果を示すかどうかについては、まだ明らかになっていません。

免疫学的作用については、音声障害診療との直接的な関連性が低いため、ここでは省略します。ただ、当院ではIgA腎症などの病巣感染疾患の患者のフォローアップも行っています。

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