声の医学ガイド03 – 内喉頭筋と機能的音声不安定状態について

「当院の強み」の項目でもお伝えしたように、声の不調の中には、声帯そのものには異常がなく、発声時に声帯を閉じる筋肉がうまく働かなくなるために生じるタイプのものがあります。この場合、声の「かすれ」でなはく、裏返り・つまり・抜け・ガラつき、が生じます。また、ふるえ・ゆれ、ピッチの不安定さの中にもこのタイプのものがあります。もともと全く問題なく出せていた音域で声のコントロールが効かなくなり、意図しない音声症状が生じるものと考えていただければよいと思います。日常会話では症状が出現せず、歌唱などパフォーマンス発声時だけに症状が出現するため、ここではまず、この状態を、パフォーマンス音声の「機能的不安定状態」と呼んでおこうと思いますが、症状が進むと日常の話声にも支障が出てくる場合があります。

頻度は器質的障害に比べて多くはありませんが、声のパフォーマーにとって最大の問題といえるこの状態は、現場ではその存在は知られてはいるものの、医学的には未解明な部分が多く、都市伝説的な解釈が巷にあふれています。ここでは、現在までに分かってきたことについて可能な限り詳しくわかりやすく説明しようと思います。

パフォーマンス音声の「機能的音声不安定状態」という名称について

ここではまず、このパフォーマンス音声の「機能的不安定状態」という名称についてご説明します。この名称は私たち独自のものです。従来、ここで述べている症状は「ジストニア」や「機能性発声障害」と呼ばれることがありましたが、現在では、この状態はそれらとは明確に区別すべき病態だと考え、つけた名称です。
自分で意図した動作ができず、不随意的に意図していない動作が生じてしまうという状態は、神経病理学的には「ジストニア」が最もよくあてはまります。しかし、「ジストニア」の定義は不随意的な筋収縮です。「パフォーマンス音声の機能性不安定状態」も、動作特異性や常同性などジストニアの条件の大部分は満たすのですが、最も多い症状の「裏返り」が内筋(甲状披裂筋)の不随意的な弛緩によると考えられるため、根本的に当てはまらないと考えざるを得ません。(不随意に筋弛緩が生じる「陰性ジストニア」という病態も「首下がり病」で提唱されてはいますが、その存在については議論があります。)
一方、「機能性発声障害」とは、本来は器質的な原因を持たないもの全般を指す総称で、かつて疾患概念が確立する前は、痙攣性発声障害や心因性発声障害も機能性発声障害に含まれていました。現在の疾患分類では、疾患概念が明確なものを定義した後に「その他の音声障害(機能性発声障害を含む)」という分類が設けられ、この中に筋緊張性発声障害(過緊張性と低緊張性)、変声障害、仮声帯発声、奇異性声帯運動、その他が含まれています。つまり、病態が明確になった疾患は独立して分類されるようになり、機能性発声障害は実質的に除外診断の総称となっているのです。現在、この分類に含まれる病態で最も一般的なのは、過緊張性発声障害と低緊張性発声障害です。これらは、力んだ発声や弱い発声など、不適切な発声方法が習慣化して定着した状態を指します。一方、ここで対象とする「パフォーマンス音声の機能性音声不安定状態」は、特定の発声法の過剰使用が原因ではありません。最も多い「裏返り」を例にとると、歌唱者が「裏返り」唱法を多用したために固定化したものではなく、突然出現し遷延する症状ですので、「機能性発声障害」という呼称には違和感があります。(その他の症状についてもほぼ同様ですが、「つまり」についてはいわゆるエッジボイス(フライ)の多用、「ゆれ」についてはビブラートの多用が背景として存在する可能性はあります。)つまり、不適切な発声調節を繰り返し行うことで反射的な調節機能の限界を超え、特定の時点から意図した通りの声が出せなくなってしまう状態です。
メディアでは「裏返り」をはじめとするこのような不調状態を「機能性発声障害」と報道することがありますが、これには当院院長の判断が関わっており、責任を感じています。約10年前、ある患者さんが活動休止を公表する際、病名について相談を受けました。当時は病態の理解が十分ではなく、条件は満たさないものの「ジストニア」の一種ではないかと考えていました。しかし「ジストニア」では難治性のイメージが強いため、代替案として「歌唱時の機能性発声障害」という名称を提案したのです。この妥協的な病名は、その後予期せぬ形で独り歩きし、皮肉にもメディアの中で難治性疾患というイメージが定着してしまいました。
実臨床においては、この間に症例データの蓄積により、治療プロトコルが確立され、病態メカニズムの解明も進展しています。その中で、この状態が一般的な「ジストニア」や「機能性発声障害」とは区別できるものであることがわかってきました。そこでこの状態に「パフォーマンス音声の機能的不安定状態」という名称を付けることにしました。英語ではPerformance Voice Instability (PVI) とし、以下PVIとして話を勧めます。完全なメカニズムの解明には至っていませんが、現時点で分かっていること・推測されることを以下に説明いたします。

声帯調節の基礎知識

この状態を理解するためには、まず声帯の閉じ具合がどのようにコントロールされているかを知らねばなりません。

声帯をコントロールする筋肉は5対10本と複雑な構造をしていますが、声帯で調節される音の要素は、単純な強さを除けば、高さ・息混じりの程度・地声裏声の程度(声区)という3つに集約されます。高さは声帯の固さによって、息混じりの程度は声帯後部の開き具合(上から見たV字の角度)によって、そして地声裏声の程度は声帯全体の厚みによって決定されます。これらの要素は相互に関連し合いながら、目的とする高さ、息もれ具合、声区を持つ声を生み出すための適切なポジションを形成します。

<高さ>

声の高さは、振動体としての声帯の固さによって決まりますが、固くする方法には2つのモードがあります。一つは、声帯そのもののボディーである内筋(甲状披裂筋)を収縮させて固くする方法で、これは地声の範囲内で行われます。(内筋が収縮すると太くなって声が低くなるという考えは誤りです。)もう一つは、声帯の外から声帯自体を前後に引っ張り、テンションを上げる方法です。この役割を担うのが前筋(輪状甲状筋)です。
つまり、声を高くする作業は二つの筋肉のリレーによって行われ、前半(低音部・地声範囲)を内筋が、後半(高音部・裏声)を前筋が担当します。両者がバトンパスを行う部分が、いわゆるミックスボイスです。このバトンパスは、特徴の異なるランナーが二人三脚をするようなものです。パワフル型の内筋が、スピード型の前筋にバトンを渡す過程で、両者はバランスを取りながら協調します。
この際、前筋が十分に機能するためには、内筋は力を抜く必要があります。内筋が強く働きすぎると、前筋の引っ張りに逆らうことになってしまい、かえって高音の妨げとなるためです。内筋は、前筋の引っ張りに徐々に身を委ねていき、最終的に完全に前筋に主導権を渡すことで高音の裏声となります。ミックスボイスは、まさにリレーのバトンパスゾーンのように、筋肉の調整が拮抗的で繊細な領域なのです。

<息交じりの程度>

息の混じり具合は声帯の開閉具合によって決まります。声帯のV字を大きく閉じるのは側筋(外側輪状披裂筋)の働きです。また、横筋(横披裂筋・披裂間筋)もさらに強く声帯を閉じる働きをします。一方、声帯を開くのは後筋(後輪状披裂筋)の働きです。
歌唱において重要なのは、訓練を受けていない状態では高音を出すときに声帯が開いてしまい、息が漏れやすいポジションになりやすいという点です。これは、高音を出すために前筋が声帯を前方に引っ張る際、披裂軟骨自体が前方に引かれないよう、後筋が後方からロックする必要があるためです。後筋は本来声帯を開く筋肉なので、このとき声帯は若干開き気味になってしまいます。高音で息が漏れやすい傾向は、このような自然な仕組みによるものです。ただし、訓練により高音でも息漏れのないポジションを習得することは可能です。この場合、横筋が声帯の隙間を閉じる働きをしていると考えられています。

<声区>

「声区」というのは、地声・裏声の聴感上の違いとして感じられる要素で、いわば声の厚みとして感じられる成分です。細かく分けるならば、フライ(エッジ)・地声・ミックス(さらにチェストミックス・ヘッドミックスと分けることもあります)・裏声・ホイッスルとするのが一般的です。ここでは、声区の違いを「重い」「軽い」で表すことにします。
これは、音響的にいうと、倍音の豊かさの違いです。「重い」声区ほど、倍音が多く含まれ、「軽い」声区ほど倍音が少ないのです。この違いを生み出しているのは、声帯の厚みです。複雑な条件をすっ飛ばして説明すると、厚い声帯の振動は、周期の中で閉じている時間が長くなり、空気力学的にそこから生み出される倍音が豊かとなることによって「重い」声区の音が生み出されます。逆もまた然りです。
「声区」の違いを生み出しているのは、解剖学的には声帯の「厚さ」ということになりますが、上記<高さ>の項でも述べたように、声帯の厚みを形作るのは、基本的には内筋(甲状披裂筋)です。そして、内筋が弛緩すると声帯が薄くなるのですが、実際には、前筋によって引っ張られることによって、高さに伴って薄くなる場合が多いと言えます。

以上、声帯の筋肉による音の調節についてのあらましを述べました。比較的詳細に述べましたが、大切なことは、「高さ」「息漏れ度」「声区」といった要素の調節は、我々の意識としては極めて大雑把な指令しか送れないということです。実際に声帯のそれぞれの筋肉が、狙った音を安定して出すためには、意識に上らない反射経路による微調整によって安定化することが必要です。PVIにおいて不調となるのはまさにこの「安定化をもたらす反射経路」の方なのだと考えられます。したがって、不調状態になったときに、声帯そのもののの使い方を意識して、随意動作として何とかしようとする方向性は全く徒労に終わります。必要なのは、不調に陥っている反射経路をいかに安定化させるかなのです(後述)。

機能的音声不安定状態ー症状の種類と原因筋

それでは、上記のような調節をされている筋肉に、どのような不調が生じると不安定になるのでしょうか。症状別に説明します。

<裏返り>

「裏返り」は臨床経験上、PVIで最も多く見られる症状です。「裏返り」とは、地声で出そうとしているときに裏声になってしまい、その結果音程も上にずれ上がってしまう現象です。注目すべきは、この症状が地声の技術的限界付近ではなく、それまで無理なく出せていた音域で起こることです。具体的には、男性では真ん中のド~ミ(C4~E4)周辺、女性ではそれより半オクターブ高い音域で発生します。
初期症状では、歌詞の中の無声子音(カ行、サ行、タ行、ハ行)の後に少し裏返る程度ですが、進行すると無声子音に関係なく、また歌詞のない発声練習でも症状が現れるようになります。多くは上昇する音の入りで症状が出現しますが、症状が長引くと持続音の途中でも現れるようになります。
内喉頭筋の働きから見ると、「裏返り」は地声を出すために収縮すべき内筋(甲状披裂筋)が、高音域で声を高くするための前筋(輪状甲状筋)との拮抗状態を保てずに弛緩してしまう状態だと考えられます。初期に無声子音の後で症状が出やすいのは、このタイミングで最も繊細な内筋の反射的調節が必要だからです。無声子音の間、声帯は開いた状態でリセットされています。その直後、母音発声時に声帯を閉じ、内筋と前筋が拮抗するポジションを瞬時に決定しなければなりません。これは言わばバトンパスをしながら並走するような繊細な状況です。この複雑な調整を厳しい条件下で繰り返すうちに、コントロールの限界を超えて破綻すると考えられます。

<つまり>

「つまり」はPVIでみられる症状の一つではありますが、典型的には「内転型痙攣性発声障害」で最も顕著に見られる症状です。地声を出す際に意図していない力が入り、声が途切れ気味になる状態を指します。この症状では、内筋(甲状披裂筋)が意図した以上に強く収縮してしまい、声門閉鎖が呼気に対して過度に強くなることで音が途切れてしまいます。上記で説明した「裏返り」とは、同じ筋肉に生じた正反対の症状だといえます。
「内転型痙攣性発声障害」は内筋もしくは横筋のジストニアとして理解されています。ジストニアは、運動を制御する脳の(延髄よりも)上位中枢に原因があると言われており、基本的にはリハビリ加療は効果がなく、ボツリヌス毒素の注射や外科的治療が試みられています。すなわち、音声障害の中では治療に難渋する病態の一つだということができます。
しかし、PVIにおける「つまり」症状は、典型的な「内転型痙攣性発声障害」とは異なる特徴があります。最も顕著な違いは、PVIの「つまり」が「裏返り」と同時に発生したり、あるいは「裏返り」が最初に現れた後、それを改善しようとする過程で「つまり」が出現したりする点です。つまり、「つまり」は「裏返り」などの症状から独立して起こるわけではなく、「内筋不安定状態」の一症状として、あるいは「裏返り」を補おうとする過程で生じる現象として理解できるかもしれません。これまでの臨床例から考えると、「裏返り」よりも「つまり」の方が改善に時間がかかる傾向があり、後述するように、原因部位が「裏返り」よりも高次の脳部位である可能性はあります。ただ、当院で行っているTLMや干渉波治療で改善する方が多いのも確かであり、典型的な「内転型痙攣性発声障害」よりは治療反応性があると考えています。
ただ、このように考えると、PVIと痙攣性発声障害は、症状の重症度によって区別され、発声中枢として障害されている部位のレベルの違いはあるものの、連続したスペクトラム上に位置づけられる可能性も大いに考えられることであり、今後研究を進めていくべき重要なポイントであると思われます。

<抜け>

PVIの中では比較的頻度が低い症状ですが、声門を閉鎖するタイミングが遅れることにより、意図せず息の混じった声になってしまいます。声門閉鎖には複数の筋肉が関与するため、原因となる筋肉の特定は容易ではありません。考えられる原理としては、①声門を開大する後筋(後輪状披裂筋)が不必要な収縮状態を維持し、発声時の弛緩タイミングが遅れるパターンと、②声門閉鎖の主動筋である側筋(外側輪状披裂筋)の作動タイミングが遅れるパターンがありますが、息漏れ声の典型的な病態である「外転型痙攣性発声障害」が後筋のジストニアとされていることから、①の可能性がより高いと考えられます。

<ガラ付き>

声が意図せずガラガラするもので、特徴的なノイズが伴ってしまいます。私たちも、この症状は声帯の器質的な問題が原因であると長い間認識していましたが、声帯に全く問題がなくても、機能的にこの症状が生じ得ることがわかってきました。
そのきっかけは、李庸學先生によるディストーションボイス(歪み声)の研究です。デスボイスやシャウトといった、ロックシーンで用いられる歪み声は、声帯ではなく、その上にある仮声帯の振動で雑音を加えていると考えられていましたが、発声スタイルによっては、声帯だけで本質的な雑音を生み出している場合があることが李先生の研究で明らかになりました。その際の声帯は、ほとんどの発声で通常は直線的に保たれている内側縁が弛緩して、バサバサとはためくような不規則な振動をしているのです。このことにより、仮声帯で加える雑音よりも、より不規則で本質的な雑音が生成されていると考えられます。
通常、地声であれ裏声であれ、発声時の声帯の内側縁は、直線的なテンションが保たれ、ブラブラになることはありません。これは、内筋の中の上内側成分(この部分だけを「声帯筋」ということがあります。)が常にテンションを保っているからだと考えられますが、上述の歪み声では、この筋肉が弛緩しており、声帯の内側が旗のようにバタバタはためいていると思われます。(これに対し、通常の裏声では、「声帯筋」はテンションを保っており、外側甲状披裂筋とも言われる内筋の下外側のみが弛緩していると考えられます。)
PVIの一症状としての「ガラ付き」は、意図せずにこの状態になってしまうものだと思われます。これまで気づかれていなかった病態であり、発症頻度もはっきりしませんが、想像以上に頻発しているのかもしれません。臨床的な印象では、比較的高齢の方に多い印象があり、音声の加齢現象のひとつである可能性もあります。しかし、治療に対する反応は比較的良好な場合があるのも確かです。

内喉頭筋を調節する神経回路(仮説)

ここまで、声帯で発せられる喉頭原音の調節を担う筋肉と、その調節が破綻することによるPVIの症状について述べました。しかし、発声のメカニズムとその破綻であるPVIを理解するには、それだけでは十分ではなく、運動制御の根本から考える必要があります。
私たちの身体の運動制御は、随意的な指令と不随意的な調節で成り立っています。このことは、四肢の運動について特によく研究されています。身体の各部位を動かそうとする随意的な指令は、大脳皮質から延髄の錐体を通って脊髄に達し、脊髄前角の運動ニューロンを経て四肢を動かします。この経路は主に錐体路と呼ばれ、首から下の部分は皮質脊髄路と呼ばれます。
しかし、これだけでは運動はスムーズに行われません。スムーズな運動制御のためには、随意運動の背景で、筋収縮の程度を細かく調整する不随意的・無意識的な調整機構が働いています。随意的に調節する筋肉には筋紡錘というセンサーがあり、このセンサーが筋肉の伸び具合を感知します。その感覚情報をもとに随意筋の収縮程度を反射的に調節することで、精密な随意運動を支え、目的の動作をスムーズに実現しています。この調整は感覚フィードバック調整と呼ばれますが、それを担う反射経路をγループと呼び、γループによる筋肉の無意識調節をする経路を錐体外路、その中の首から下の部分については網様体脊髄路(網様体は延髄にある部分です)と呼びます。錐体外路の調節の中枢は、運動プログラムを形作る小脳、大脳基底核、および脳幹(中脳の赤核や延髄の網様体など)にあると考えられています。錐体外路は、随意動作に伴う反射調整の他、そもそもが不随意動作である姿勢制御にも大きく関わっています。


さて、上述した四肢の運動と同様、声帯の運動も随意的な運動と不随意的な反射調節で成り立っていますが、声帯においては、より不随意的な調節の部分が重要であると考えられます。
四肢の動作においては、筋紡錘からの筋肉の緊張度の情報(これを固有感覚と言います)は、意識できる感覚情報として大脳に入るため、皮膚の触覚情報とも併せて、形や位置、動きを認識することが可能で、随意運動としても細かい調整ができます。しかし、声帯においては、筋紡錘からの固有感覚は意識できる情報としては大脳に入ってこないため、私たちは意識して声帯を細かく動かすことはできません。そもそも、声帯の運動において重要なのは、「動き」そのものよりも、声門閉鎖の際に粘膜波動が安定するように、柱のように「支える」動作です。この際筋肉は、動くのではなく一定の緊張度で「止まる」ことが必要になります。一定の位置で筋肉に力を入れて止めることを等尺性収縮と言いますが、言語動作は発話であれ歌唱であれ、極めて速いスピードで、複数の内喉頭筋が拮抗的に関与する等尺性収縮を反復しているということができます。このような動作では、随意的な運動調節よりも不随意的な反射調節が重要となり、筋肉から入ってくる固有感覚情報に対して反射的なフィードバック調節を1音ずつ行なって、安定的な等尺性収縮の調節を担っていると考えられるのです。
したがって、声帯の運動調節は単なる運動ではなく、感覚と運動がフィードバックを介して密接に結びついた活動だと言えます。そのため、その不調も単なる運動障害としてではなく、感覚運動障害として捉えるべきでしょう。これは四肢の運動障害においても同様で、演奏家の手指のジストニアなどの巧緻動作の障害は、感覚運動障害として捉え直す考え方が受け入れられています。

PVI発症の原因(仮説)

上記のことを考えると、PVIは、随意運動そのものの障害ではなく、不随意的な筋収縮の調節障害と考えるのが自然です。事実、PVIの代表的な症状である「裏返り」や「つまり」「ガラつき」に関与していると考えられる内筋(甲状披裂筋)には、他の内喉頭筋に比べて多くの筋紡錘が分布していることが知られています。それはすなわち、それだけ細かく不随意的な反射調節が発達した筋肉であることを示している可能性があります。
このような進化がどの段階から生じたかは解明されていませんが、声帯は、遙かに時代を遡って魚類であった時には、鰓(えら)であった部分です。魚類の鰓は、生命維持に不可欠な呼吸、浸透圧調節、老廃物排出といった機能を担っている内臓であり、その運動は主に不随意的な調節が主体であると考えられます。そのため、スピーディーな運動調節の必要性は少なく、筋紡錘はほぼ存在していないそうです。(ただ、筋紡錘ではない固有感覚受容器の存在は確認されているそうです!) 声帯は、この鰓から進化したと考えられていますが、陸上での音声コミュニケーションという新たな機能の獲得に伴い、より高度な随意的な制御能力を発達させました。その過程で、随意運動を細かいレベルで成立させるための不随意調節を行うための筋紡錘が備わった可能性があります。すなわち、声帯は元来、呼吸をはじめとする不随意的な機能と深く結びついた器官であり、その基盤の上に随意的な運動が新たに乗っかったと考えるのが妥当だと考えられるのです。したがって、その随意運動の調節は、まだ発展途上であり、それゆえに少し「無理」がかかりやすいのかも知れません。PVIは、随意的な動作が、自然の調整力を超えてしまうくらい不自然なこととなった場合に生じる状態なのでしょうか。

PVI発症の要因

進化の話はさておき、この不随意的調節が不調に陥るのはどういう場合でしょうか。一旦獲得していた、発声時の安定した筋緊張調節が変化せざるを得ない種々の出来事は全て発症のきっかけになり得ます。例えば、アコースティックで活動していた人がバンド編成でツアーを回ることになった、風邪やそれに伴う声帯炎で声が出にくい状態にもかかわらず本番をこなし続けなければならなかった、複数の歌唱スタイルに挑戦しようとした、声帯の手術を受けた、等です。これらの出来事は、固定した調節パターンの土台となっている条件の変化ですから、すぐに適応することができない場合にPVIに陥ることがあります。一方、特にきっかけなく、ある日突然発症することも多くあるのも事実です。
ただ、きっかけがあるにせよ、ないにせよ、もともと行っていた歌唱発声自体に、安定した内喉頭筋のフィードバック調節を困難にする要因が存在している場合に、発症する可能性が高くなると私たちは考えています。

それでは、内喉頭筋のフィードバック調整を困難にする要因とは何でしょうか。

  • ①レガートのない歌唱発声
  • ②声帯の自励運動を促す空気力学的な安定性を呼気と声道で補助できず、声帯自体に多くを負わせようとする発声

私たちは、この二つが、PVIの発症に至ってしまう大きな要因だと考えています。また、この二つに陥ることなく

  • ①レガート歌唱発声
  • ②声帯の自励運動を促す空気力学的な安定性を呼気と声道で補助する発声

これらの技術的獲得こそが、ボイストレーニングや歌唱訓練の本質だと考えています。医療的リハビリではなく、歌唱訓練としてこの二つを目標に訓練を重ねると、PVIが改善する例を多く目にするからです。したがって、現在の私たちは、ある意味では、PVIを疾患と捉えるよりは、歌唱における身体操作技術の不足から生じる状態と考えています。
その具体的な内容については、次項「ボイストレーニングとは何か」で述べようと思いますが、ここではあと二つだけ、PVIに関連する内容を付け加えておきます。

以前の呼称「日本語歌唱不安定症」との関係

以前の当院のホームページでは、PVIを「日本語歌唱不安定症」と呼んでいました。これは当初、この症状が日本語歌唱時のみに生じ、その特徴が病態の本質を表していると考えていたためです。日本語は開音節言語であり、意味を明確に伝えようとすると音が切れやすくなります。そして、歌詞の意味を強調しようとすればするほど、歌唱における音楽的なレガートが失われていきます。内視鏡による観察では、レガートを失った歌唱時の声帯は一音ずつ大きく開閉を繰り返しており、各発音単位での声門閉鎖の精密な微調整が困難になることが推測されました。このように、日本語歌唱特有のレガート喪失による声門閉鎖調節の困難化が、本症状の最も重要な背景因子であると考え、「日本語歌唱不安定症」という名称をつけました。
しかしその後、多くの症例を経験させていただき、音声学的・神経学的な考察が深まりました。日本語歌唱そのものが原因ではなく、あくまでもレガートの喪失が問題であること、また、レガートに加え、空気力学的な呼気と声道条件の調整によって声帯の自励運動を安定させることが大切であること(これらを含めて広義のレガートと考えています。)、直接的な原因と思われる固有感覚ノイズや神経基盤であるγループによる感覚運動調節に気付いたことで、病体の本質を「音声生成における声帯自励運動を阻害する因子により固有感覚ノイズが増加したためのγループによる声門閉鎖微細制御の破綻」と再定義し、本質的な名称としてPVI(パフォーマンス音声の機能的不安定状態)を採用するに至りました。

メンタルや情動、自律神経、上咽頭との関わり

PVIに陥ると、周囲からメンタルやストレスが原因では?と言われることが多いようです。一般の人ばかりでなく、医療従事者でさえ、原因がはっきりしない症状の原因を、メンタルやストレスに求める傾向は否めません。しかし、PVIに関しては、その本質はあくまでもこれまで述べたように発声そのものに起因する感覚運動障害であると考えられ、精神的な要因は主ではないと考えられます。
しかし、PVIに関係する神経回路から考えると、メンタルやストレスが症状の増悪因子になる可能性は十分に考えられます。これまで述べたように、PVIで十分に機能しなくなる声門閉鎖の微調節は、錐体外路という不随意的な運動調節を行う神経回路が担い、内喉頭筋と延髄を繋ぐγループが実際の反射的なフィードバック調節を行っています。その反射の程度を調節するのは延髄網様体(延髄内の特定の核以外の部分で、感覚神経核と運動神経核を繋ぐネットワーク部分と考えると良いと思います。)という部分の中にあるネットワークと考えられ、これがPVIで調節不良を生じている可能性が高いのですが、延髄網様体は、脳の様々な部分と連絡を持っています。錐体外路の上位中枢と考えられる視床下部は当然ですが、情動を司る扁桃体とも複数の経路で繋がりがあります。また、視床下部そのものも、錐体外路による運動調節の中枢であると同時に、自律神経系の中枢でもあります。このことは、情動の変化や自律神経の状態が、音声制御に影響を与える可能性があることを示唆しています。さらに言えば、上咽頭からの神経が来ている咽頭神経叢とも、延髄網様体は繋がっています。通常は、嚥下制御の文脈で咽頭神経叢と延髄網様体のつながりが言及されることが多いのですが、このことは、慢性上咽頭炎による音声制御障害が起こり得る神経学的基盤であると考えられます。

まとめ – 随意運動の指令とγループ

さて、長々と発声の調節機構と、その破綻であるPVIについて説明してきました。次項では、PVIを改善するためにできることについて述べたいと思います。その前に、その中心となるγループについて述べておきましょう。
私たちが、ある声を出そうとします。いったん獲得した声であれば、ある高さである声区である息漏れ度の声を出すプログラムが、大脳基底核を中心に大脳と小脳を繋ぐ形で作られており、その信号が延髄に向かいます。単純に考えれば、これが運動神経を伝わって声帯の各筋肉に伝えられるということなのですが、その際に感覚運動フィードバックによって反射的自動的な調節が行われるのは既述のとおりです。
それでは、私たちがある発声をしようとした指令は、どのようにこのフィードバック調節と関わっているのでしょうか。獲得された運動プログラムの情報は、実際には、延髄(の網様体と思われます)から出るγ運動神経という神経によって、筋紡錘の感度という形で伝えられます。そこで設定された感度をもとに、筋紡錘が筋肉の長さや伸長速度の情報を固有感覚として延髄の感覚中枢(孤束核)に伝え、それを延髄網様体にあると思われる発声の調節中枢のネットワークが延髄の運動中枢(疑核)伝え、調節された運動神経刺激が運動神経経由で内喉頭筋に送られるという形になっていると思われます。したがって、このγ運動神経から始まるγループと言われる感覚運動フィードバックの調節回路は、γ運動神経を含めると「の」の字になっていると言えますね。

以下に、ここまでの内容を含めた、発声の関する神経回路の全体を図示します。非常に難解だとは思いますが、眺めてみてください。

孤束核:延髄の感覚中枢 疑核:延髄の運動中枢 CPG: Central Pattern Generator
PAGE TOP