声の医学ガイド05 – 声のコンディショニングについて

声帯粘膜の電子顕微鏡的研究で世界をリードする佐藤公則先生によると、声帯粘膜は非常にエネルギー消費が少ないシステムで代謝が行われているそうです。このことはすなわち、酸化ストレスにさらされる度合いが少ないことを示していると考えられ、声帯が身体の他の部位に比べて炎症が起こりにくい部位である要因であると考えられます。
ただし、それを上回る負荷がかかって一旦炎症が生じた場合は、代謝の低さは回復が迅速に行われない要因にもなると考えられ、両刃の剣と言えるかもしれません。
「熱しにくく冷めにくい」声帯ですが、コンディションを保つために、私たちにできることは何でしょうか。この項では、受診以前にできるセルフケアについて、科学的知見と臨床経験に基づいた実践的な方法をご紹介します。
十分な潤滑を保つこと
声帯は、その表面を覆う粘液があってはじめてスムーズに振動することができます。適切な潤滑がなければ、声帯の柔らかい振動は維持できないのです。声を使う職業の方にとって、まず必要なのは体全体を水分で満たし「乾かさないこと」です。1日あたりの水分補給の目安としては、食べ物以外に体重(kg)÷30 ℓ 程度が推奨されると言われています。例えば、60kgの人で、60÷30=2ℓということです。また、吸入器などによる直接的な加湿も、粘膜の保湿と回復に有効です。
声を使った後は「黙る」のではなく「クールダウン」
声を酷使した後、すぐに沈黙するのではなく、軽い発声によるクーリングダウンをすることが大切です。声帯振動には、接触するの物質を外側に移動させて散らす働きがあるので、低音のハミングを数分間行うことで、酷使後に声帯縁に生じた炎症物質を留まらせず、効果的に排除できます。この方法は、舞台の幕間やリハーサル後にも有効で、15分に1回くらい数分のハミングを行い続けると、パフォーマンスの質を保つ助けになります。逆に、本番前のリハーサルの後など、酷使後に黙ってしまうと、その沈黙後の本番の出だしの声は思いのほか本調子にならないことは誰もが経験していることと思います。
声の連続使用は17分が限界の目安
声帯には痛覚がないため、使いすぎによるダメージに気づきにくいという特徴があり、無意識のうちに負担をかけてしまいがちです。研究によれば、持続発声時間で17分、音読で35分を超えると声帯粘膜の損傷が生じ得るとされていますので、歌唱であれば曲間の休憩があるにせよ、30-40分程度で休憩をはさむ方が良いと考えられます。少なくとも、時間を管理して声をだすことが肝心であり、最も大切なのは、違和感や異変を感じたときには、決して無理をし続けない勇気を持つことです。
上咽頭のケアも忘れずに
急性の気道炎症は、しばしば上咽頭から始まります。すでにお伝えしたように、声にとって上咽頭は非常に大切な領域であり、そのコンディショニングは声そのもののコンディションに直結します。上咽頭のセルフケアの代表は鼻うがいです。最も簡便で効果的な声の健康法であり、日常的な習慣として取り入れる価値があります。40度程度の生理食塩水で行うのもよいし、上咽頭専用の洗浄液はより勧められます。
首の筋肉の状態も声に影響する
多くの臨床経験から、声の不調を訴える方の多くに首の筋肉の緊張、特に斜角筋の硬直が見られます。逆に、首周りを緩めるだけで、声が劇的に改善するケースも少なくありません。斜角筋は呼吸筋の一つでもありますので、声のコンディションが悪い時に、呼吸や姿勢の点でベストな状態から離れ無理をすることによって硬直を来していると考えられますが、この筋肉が硬直することによって、声そのもののコントロールも悪化する悪循環に陥ります。頸部筋硬直からは発声機能が悪化する機序は定かではありませんが、外喉頭筋の柔軟性の低下を来し、喉頭位置の自由な調整ができなくなる可能性はありますし、斜角筋の奥に内喉頭筋を支配する迷走神経及び反回神経が走行していることも関係しているかもしれません。日頃から首のストレッチや保温、皮膚刺激などで筋肉の柔軟性を保つことが大切です。
自律神経と睡眠の重要性
声帯を調節する内喉頭筋はすべて迷走神経支配であり、迷走神経が代表的な自律神経系の神経であることを持ち出すまでもなく、発声は、自律神経の影響を強く受ける活動です。呼吸も内喉頭筋も、その神経的な調節部位は自律神経の調節部位と強いかかわりをもっています。したがって、睡眠不足やストレスが続き自律神経の調節が乱れると、声のコンディションに顕著な悪影響が現れます。規則正しい生活と、質の良い睡眠が、日々の発声を支える大前提となります。
食生活を整えること
健康であることは、表現者にとって最も基本的な資本です。バランスの取れた食事は、粘膜や筋肉の状態を整えるだけでなく、免疫機能の維持にもつながります。中には、原因不明の痰がらみが、グルテンなど特定の食品の摂取に起因しているケースもあります。食生活の見直しは、声の不調へのアプローチのひとつといえるでしょう。